2025/04/15 19:10
わかっているようで、わかっていなかったことって、あります。
それはある日、突然ふってくるような「ひらめき」ではなくて、
むしろ、ずっと目の前にあったのに、なぜか気づかなかったことだったりします。
僕にとってそれが、「スタンダードなお菓子をつくる意味」でした。
最近よく考えるんです。
自分が何度も焼いてきたカヌレやフィナンシェって、なぜこんなにも心地よいのか。
なぜ、作っていても飽きないのか。
なぜ、もう何百回も作っているのに、焼き上がりを確認する瞬間だけは、いまだに少し緊張するのか。
そして、なぜ今、そこに自分の軸を置き直したくなっているのか。
その答えを探していた時にふと思い出したのが、「研究者」という存在でした。
たとえば、物理学者のホーキング博士。
昆虫や微生物の分類を生涯かけて続ける人。
料理人でも、一皿の中に何十年分の知識と経験を詰め込んでいる人がたくさんいます。
一つの分野に特化して、何十年も同じテーマと向き合い続ける。
それって、すごくかっこいいなと思うんです。
少し前までの僕は、毎月違うお菓子を考えて、セットを組んで、ご紹介することに一生懸命でした。
それはそれで楽しかったし、お客様の反応にも救われました。
ただ、その繰り返しのなかでふと、「自分はどこに戻ってくるんだろう」と思ったことがあって。
新しさを更新し続けることが、自分の個性だと信じていたけれど、
実は、僕が一番好きなのは、「同じものの中に潜む違い」を見つけることだったんじゃないかと。
たとえば、同じカヌレでも、火の入り方が1℃違えば香りが変わる。
焼き時間が2分違えば、翌日の食感に影響が出る。
バニラの抽出のしかた、蜜蝋の塗り方、焼き始めのオーブンの気まぐれな湿度。
そんなことを、何十回、何百回と繰り返しても、
「今回のこれは、なんか違うな」と感じることがあります。
一つのことを深く掘り下げていく生き方。
それが今の自分にはしっくりくる気がしていて、ようやくそこに素直になれるようになってきました。
もちろん、商売として考えれば、これは非効率です。
派手な新作を出した方が反応は得られやすいし、写真映えもする。
でも僕にとって、そういう舞台ではなくて、
「気づかれるか、気づかれないか」くらいの小さな差異を、静かに届けられるようなスタンダードなお菓子に、今は強く惹かれています。
プロ野球選手が打率を0.01上げるためにバットを微調整するように、
ジャズピアニストが毎日同じスケール練習を繰り返すように、
僕は、同じカヌレを、同じフィナンシェを、もっと深く知りたいと思っています。
ひとつのことにしか夢中になれない不器用さは、弱点でもあるけれど、
それがあるからこそ、「誰もたどり着けない場所」に、そっと届く瞬間があるような気がしています。
そんなことを考えていた、4月の夜でした。
あざした。