2026/05/10 06:28

料理人というものは、誰しもが自分なりの美学を持っています。それは扱っている食材の質や、技術の高さとは関係がありません。自分はどんな料理を作りたいのか、どのように社会と関わっていきたいのかという、ある種の意思のようなものです。
一方で、「レベルが低い人間が美学を語るべきではない」という考え方も存在します。しかしこれは少し違うのではないかと思っています。美学というものは、持っていい人と持ってはいけない人がいるものではなく、その美学を通して何を提供できるのかが問われるものです。
つまり、美学そのものに価値があるのではなく、それを通じて生まれる体験や価値にこそ意味があるということです。
大企業の例を見てみるとわかりやすいです。例えばソフトバンクは、もともとはソフトウェアを扱う会社でしたが、現在では投資ファンドとしての側面が強くなっています。これは、自分たちの方向性を持ちながらも、社会のニーズを大きなスケールで汲み取り、それを形にする力があるからです。
しかし、私たちのような小さな料理人には、そのような情報収集力や資本力はありません。市場のニーズを正確に把握し、それに応え続けるということは簡単ではないのが現実です。
だからこそ、美学が重要になります。
美学とは、「自分はどんな世界を作りたいのか」という問いに対する答えであり、それを言語化し、表現し続けることが、私たちにとっての指針になります。言い換えれば、美学とは戦略の代わりになるものです。
一見すると、美学という言葉は少しロマンチックで、現実から離れたもののように感じられるかもしれません。しかし実際には、むしろ逆で、限られた資源の中で方向性を定めるための、非常に現実的なツールだと思っています。
この美学が曖昧なままお店を続けていくと、徐々に方向性がぶれていきます。例えば、メニューだけが増えていくけれど、結局何をしたい店なのかわからないという状態です。こうした店は、短期的には売上を作れるかもしれませんが、長期的にはお客様の記憶に残りにくくなります。
つまり、美学がないということは、「選ばれる理由がない」という状態に近いのではないかと思っています。
私自身の運営においても、紹介できるお菓子の数は決して多くありません。意図的に絞っています。それは、数を増やしていくことで、自分が本当に伝えたいことが薄れてしまうと感じているからです。
もちろん、このやり方が正しいとは思っていませんし、効率的とも言えません。むしろ、機会損失も多いと思います。
ただ、その選択がどれだけ世の中に受け入れられるか、その結果としてどれだけ定着できるかによって、初めてその考え方の価値が測られるのだと思っています。
美学というものは、正解を保証してくれるものではありません。むしろ、不確実な中で進むための「軸」に近い存在です。
だからこそ、料理人にとって美学とは飾りではなく、日々の選択を積み重ねていくための基準であり、自分の店を形作る根本的な要素なのだと思います。
